3代目代表挨拶『私がこの地で塗装工事に命を賭ける理由』
私がこの地で塗装工事に命を賭ける理由は、塗装工事が私の使命だと考えているからです。
副島塗装は、祖父(又蔵)の代から始まり今年で94年目。長崎市の皆様の暮らしを守り続けてきた塗装工事専門店です。塗装職人の祖父と父の背中を見て育ってきた私は、大学卒業後一般社会を学び、その後すぐさま家業に入り、塗装の道で生きていく決意を致しました。それから30年の時が経過し、現在に至ります。
副島塗装では、理念にも掲げているとおり、「どんな現場でも手抜きをしないで、当たり前のことを当たり前に。心を込めて丁寧な仕事をしよう」をモットーとしています。
これは、一見簡単な標語のようにも見えますが、様々な環境下で行う塗装仕事、その上、限られた予算の中で最高の仕上げを求められる現場は、常に困難の連続なのです。

その中でこそ求められる「あるべき姿」として、初代から初代より引継ぎ大切に守り続けて参りました。
昭和・平成を駆け抜けてきた副島塗装は、高度成長期には世界中の現場にも携わってきましたが、令和になった今、それらの知恵を結集させて、地元のお客様の大切なお家を守る塗装に専念致しております。
あなたの大切なお家が痛んできたら、ぜひ地元の老舗・副島塗装へお声掛け頂けましたらと思います。地味な私たちですが、塗装技術ではどこにも負けない気持ちで現場に向かい、感謝の思いを込めて仕上げさせていただくことを、私・副島一郎が堅くお約束させていただきますから。
副島塗装株式会社
3代目代表取締役 副島 一郎
代表ブログ「塗装三昧・塗装道」はこちら
会社概要
| 商号 | 副島塗装株式会社 |
| 本 社 | 〒850-0046 長崎県長崎市幸町4-19 TEL 095-822-2579 FAX 095-822-2635 |
| 資本金 | 1000万円 |
| 初代代表親方 | 副島 又蔵 |
| 代表取締役会長 | 副島 悦夫(2代目代表親方) |
| 代表取締役社長 | 副島 一郎(3代目代表親方) |
| 従業員数 | 4名 |
| 営業種目 | 塗装工事、屋根工事、防水工事、大工工事 |
| 営業エリア | 長崎市、西彼杵郡時津町、長与町 |
| 事業許可 | 長崎県知事 許可(般-3)第289号 |
| 所有している資格 | 一級建築塗装技能士 一級鋼橋塗装技能士 一級土木施工管理技士 二級建築施工管理技士(仕上げ) 二級土木施工管理技士(鋼構造物) 有機溶剤作業主任者 鉛作業主任者 足場組立等作業主任者 高所作業車運転技能講習 職長安全衛生責任者教育 一般建築物石綿含有建材調査者講習 |
| 加盟団体 | 日本建築塗装職人の会 プレミアムペイント技術認定施工店 ガイナ提携施工店 |
企業理念
1.良い塗装工事をし続けましょう。
2.褒められる仕事をし続けましょう。
3.どんな現場でも手を抜かないで
4.当たり前のことを当たり前に
5.心を込めて丁寧に仕上げましょう。
仕事を通していつも考えている指針
➀現場に合わせた工法・仕様の十分な検討を怠らないように
➁工法(仕様)に合わせた確かな材料の選定を常に心がけるように
➂プロとして真面目にコツコツ・最善を提供する職業人としての自覚を持ち続けるように
④お客様の喜びを塗装職人としての我が喜びとする姿勢を大切に
沿 革
創業のきっかけ
弊社は、佐賀県藤津郡吉田村(現嬉野市大字吉田)から長崎市に出て来た祖父・又蔵が、昭和5年(1930年)に開業。その年の3月末に生まれた父・悦夫は、昭和29年(1954年)から塗装職 人として家業を継ぐことになりました。
父(副島悦夫・二代目)の活躍
父は職人として塗装工事を行いながら、日本塗装工業会長崎県支部の活動にも従事。昭和57年(1982年)9月に長崎県支部長に就任し、平成3年(1991年)7月、海部俊樹内閣時の大塚雄司建設大臣から大臣表彰、平成5年(1993年)4月29日、宮澤喜一内閣時に黄綬褒章(※)を授与されています。
私・副島一郎(三代目)の生い立ちから現在まで
私・一郎は3代目として平成14年(2002年)8月末に亡くなった父の跡を継いで代表取締役として現在に至っています。
私が2~4歳の頃は、祖父の自転車に乗ってよくあちこち連れて行ってもらっていたようですし、また小学生の頃には妹たちと一緒に父が運転する車に乗って、送電鉄塔の現場や住宅他の塗装現場にも行っていたようです。
中学生や高校生の頃、社会科、中でも地理の教科が大好きだったのは、このような子供のころからいろんなところへ連れて行ってもらっていたことが要因としてあるのかもしれません。
大学を卒業後、東京神田に本社があるプラント建設会社に就職しましたが、5年に渡る中東イラク国の建設現場で体験したことは、今でも貴重な経験として自身の中に存在しています。
12年ほどのサラリーマン生活から長崎に戻り、平成4年(1992年)9月から家業に従事するようになりました。
副島塗装とは
市や県の集合住宅塗装現場、下水処理場の防蝕工事、浄水場内や橋梁(鋼橋)の塗装現場、電力会社の送電鉄塔、発変電所内の設備塗装現場、或いは一般住宅やマンション等の塗装現場など様々な塗装工事に30年以上従事し、多くの経験を積み重ねて来ています。
長崎市内の住宅やビルの塗装工事に関して、これまで培ってきた豊富な経験を元にいろんな知恵を出して、より良い塗装、喜んでいただける塗装を目指し精進を続けて行きたいと思っています。
沿革・年表
| 1930年(昭和5年)4月 | 副島又蔵、個人で塗装請負業を始める |
| 1948年(昭和23年)5月10日 | 長崎市稲佐町にて副島興産株式会社を設立 |
| 1949年(昭和24年)12月24日 | 社名を副島塗装株式会社に変更 |
| 1950年(昭和25年)6月 | 長崎港外の高島(西彼杵郡高島町)に出張所を設置 (この頃から昭和42、43年まで、三菱炭鉱高島鉱業所内の設備や炭鉱労働者の住宅塗装工事を行う) |
| 1953年(昭和28年)12月10日 | 本店を稲佐町から玉浪町(現幸町)に移転 |
| 1954年(昭和29年)4月 | 副島悦夫 入社![]() 父(悦夫)と職人たち(眼鏡をかけているのが父) |
| 1955年(昭和30年)3月8日 | 副島一郎 誕生![]() 父に抱かれて事務所前で(一郎8か月) |
| 1957年(昭和32年)7月~ | 九州電力(株)の工事を始める(主に送電鉄塔塗装工事)![]() |
| 1962年(昭和37年)12月 | 建設業許可取得(長崎県知事許可 カ-第388号) |
| 1967年(昭和42年)8月28日 | 社団法人 日本塗装工業会会員となる |
| 1970年(昭和45年)11月 | 副島悦夫 代表取締役になる |
| 1979年 (昭和54年) 7月10日 | 資本金を100万円に増資 |
| 1981年(昭和56年)3月21日 | 資本金を200万円に増資 |
| 1982年(昭和57年)4月 | 副島悦夫 日本塗装工業会長崎県支部長に就任(~1988年3月) |
| 1982年(昭和57年)7月23日 | 長崎大水害で被災(事務所が床上浸水) |
| 1985年(昭和60年)4月10日 | 初代社長 副島又蔵 逝去![]() 祖父・又蔵と自宅の裏庭で(一郎 3歳?) |
| 1990年(平成2年)2月21日 | 副島悦夫 社団法人全国建設専門工事業会団体連合会より表彰される |
| 1991年(平成3年)7月10日 | 副島悦夫 建設大臣表彰を授かる |
| 1992年(平成4年)9月1日 | 副島一郎 入社![]() プラント建設会社新入社員時代の現社長 1979年撮影北海道電力伊達火力建設事務所 ![]() 海外勤務地であるイラクUE建設事務所にて 1983年撮影 |
| 1993年(平成5年)4月29日 | 副島悦夫 黄綬褒章を授かる ![]() 褒章受章記念祝賀会 日塗装長崎県支部幹部とともに(中央が父) |
| 1993年(平成5年)6月29日 | 副島一郎 常務取締役に就任 |
| 1993年(平成5年)12月16日 | 資本金を500万円に増資 |
| 1995年(平成7年)6月29日 | 資本金を1,000万円に増資 |
| 2002年(平成14年)8月30日 | 2代目社長 副島悦夫 逝去![]() 幸町自治会の懇親会にて (写真右が父) 塗装工業会支部会員の取りまとめに尽力した父でした。 |
| 2002年(平成14年)9月3日 | 副島一郎 代表取締役に就任 |
■場所:稲佐橋通り、味の横綱 杉永かまぼこの向かい側にあります。
アンカー
メディア紹介・表彰実績



・昭和六十三年度 建設省建設経済局長 感謝状
・平成二年度 社団法人全国建設専門工事業団体連合会からの表彰
・平成三年度 建設大臣表彰
・平成十四年度 九州電力株式会社長崎支店からの感謝状
・平成十四年度 社会福祉法人 長崎市社会福祉協議会からの感謝状
・令和4年度 日本建築塗装職人の会 地域密着度No.1賞受賞
・例和2年度 100年企業隼大賞 受賞
・令和4年度 日本建築塗装職人の会 建築塗装BEST DESIGN賞 受賞
など多数
創業以来、塗装一筋に精進致しております。塗装・補修工事をお考えの方、お気軽にご相談ください。














農業、商業、工業等の業務に精励し、他の模範となるような技術や事績を有する人々に対して授与される栄典。